アルゼンチンと沖縄の架け橋を目指して
2018年3月26日
大城クラウディア CLAUDIA OSHIRO
日本に来るきっかけは?
THE BOOMの「島唄」という曲がアルゼンチンで日本語の歌詞のままカバーされて、ヒットしました。その時、私はコーラスとして参加していました。そのカバー曲が話題となり、曲を書いた宮沢さんの耳まで届いて、宮沢さんとアルゼンチンでお会いできる機会がありました。宮沢さんに日本で音楽活動をし、歌手になりたい夢があると話したら、宮沢さんのツアーコーラスとして日本に呼んでくれたことがきっかけです。
ルーツである沖縄に来たきっかけは?
東京に拠点を移して宮沢さんのツアーのお仕事をいただいていましたが、自分のルーツである沖縄で「沖縄の音楽」について学び、自分のものにした方が今後クラウディアの為になるんじゃないかな?と宮沢さんが助言してくれたのがきっかけです。アルゼンチンに居た頃から沖縄民謡を歌ったり、沖縄の文化にも慣れ親しんでいましたが、やはり本場の沖縄で沖縄民謡を学ぶと、本当にいろんな刺激がありました。私は初め、民謡酒場で修行していましたが、毎日ステージに立ってお客さまの前で歌うと、すごく正直な感想が返ってきました。見に来てくれるお客さまは歌も三線も上手い方が多く、毎日が刺激でいっぱいでした。沖縄の地で沖縄民謡を肌で感じることができて本当に良かったです。
沖縄と世界のウチナーンチュの違いは?
あまり違いがあると感じませんでした。アルゼンチンには沖縄の昔の言葉や習慣などが残っているので、アルゼンチンに住んでいるウチナーンチュも沖縄に住むウチナーンチュとあまり変わりが無いと感じました。そのため、沖縄に初めて来た時も、沖縄に来たなーって感じはありましたが、事前のイメージとあまり違いがなく、アルゼンチンにも沖縄があるんだなと感じることができました。アルゼンチンは、日系人の中でも7割くらいが沖縄県系人で、県人会も大きく、毎週のようにいろんなイベントがあり、沖縄舞踊やエイサーなど、毎週何かしらのイベントに参加している時期もありました。年配の方の敬老会やお誕生日会などの司会進行はすべてウチナーグチで、その話を沖縄ですると、昔の沖縄がアルゼンチンにも残っているんだねってよく言われます。
世界のウチナーンチュの日について思うことは?
アルゼンチンに居た頃は、アルゼンチンに住む一人のウチナーンチュとして催しに参加していましたが、現在は「歌手」として沖縄を中心に活動しているので、世界のウチナーンチュ達を沖縄に迎える立場にいるのが不思議な感じがします。そのことはとても光栄なことで嬉しいですね。第2回世界のウチナーンチュ大会にアルゼンチンから参加した経験がありますが、その時に「アルゼンチンと沖縄の架け橋にいつかなってみたい」という想いを持ち、現在に至っているので、これからも世界のウチナーンチュを繋げられる立場にいれたらいいなと思います。
世界で活躍するためには?
私の周りには世界で活躍するウチナーンチュが身近にたくさんいるので、移民の話などを聞く機会もありますが、現在の若い人たちに移民の歴史はあまり知られてないと思います。若い人たちには移民の歴史についても知ってもらいたいですし、私自身は歌を通して皆さんが世界に興味をもってもらえたらなと思っています。沖縄には誇れるものが多いので、自信をもって世界に出てほしいですね。ウチナーンチュはどこに行っても強いと思います。誇りを持てるものがあるから強くなれると思いますので、どんどん世界に羽ばたいて欲しいですね。