ウチナーンチュ子弟等留学生 南部平和学習
5月23日(金)は(株)さびら 野添さん・安里さんガイドのもと、県費留学生の平和学習をおこないました!
平和祈念資料館、平和の礎を初めて訪れた留学生はもちろん、足を運んだことがある留学生も、説明を受けながらまわることで新たな発見がたくさんあったようです。
沖縄師範健児之塔にあるガマは、当時と変わらない風景が残っている場所でした。そこで多くの子供たちが命を落としたこと、教育が与える影響の大きさを学びました。
最後にはグループにわかれて感想共有をおこないました。それぞれ自分の家族や国の歴史と結びついて感じることがあったようです。
重いテーマではありますが、アイスブレイクを混ぜながら息抜きしつつ、真剣に学ぶことができました。
野添さん・安里さん、ありがとうございました!
\県費留学生からの感想💬 /
★2024年度県費 ボリビア出身 眞榮城萌
私は、戦争の話は中学のころから祖母から聞いていましたが、今回2回目の平和学習では自分が知らなかった事を学べました。
個人的に印象に残ったのは、戦争の中ウチナーンチュがウチナーグチを使うことでアメリカの仲間だと思われ、同じ日本人でありながらもスパイと判断されて殺されていた事です。私は、小さい頃からボリビアで祖母と一緒に暮らしていて、周りもウチナーンチュで、よくウチナーグチを聞いているからこそ1番印象に残りました。
そして平和の礎では、敵も味方も関係なくこの沖縄戦で亡くなった方々の名前が刻まれている事で、すべて平等にみんなの名前があってとてもいい事だと思いました。
★2024年度県費 台湾出身 鄭仁翔
今日は初めて平和祈念公園を訪れました。特に第4展示室では、ひとりひとりの普通の人々の証言が展示されていました。
彼らも私たちと同じように夢を持っていたのに、戦争によって人生の方向を変えられてしまったのです。
記念碑に刻まれた一つひとつの名前を見ながら、この人たちはどのような人生を送ったのだろうかと考えずにはいられませんでした。
「戦争」という、たった二文字が、これほどまでに重く、私の心に深く刻まれました。
★2025年度県費 ペルー出身 若林稲福バネッサ
ガマやお墓に避難していた子どもやおじいさん・おばあさんたちの写真を見たり、つらい体験を語る生存者の証言を読んだりして、戦争の苦しさを改めて感じました。命を失った人や、自ら命を絶った人の話もありました。そして、もっと信じられないことに、当時の過激な考えのせいで、自分の子どもや大切な人の命を奪うことが「敵に負けるより良い」と思っていた人がいたことも知りました。
それでも、沖縄の人たちは今、人の温かさや助け合いの心で知られています。それは、沖縄と沖縄の人々が特別だと思える、もう一つの理由かもしれません。