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Uchina Columnウチナーコラム

野球少年を1人でも増やしたい

2019年3月8日

KATSUKI MATAYOSHI




ご経歴と現在に至る経緯

小学校は浦添小学校に通い、その後浦添中学校、西原高校を卒業。その後岡山県にある環太平洋大学に入学しました。

その卒業時に社会人野球に行くかどうするかっていうところで、野球を中途半端で諦めたくないなかったので親に相談し、1年間野球だけの生活をしてみたい。それが駄目だったたらすぐ沖縄帰ってくるからという約束のもと独立リーグ香川へ入団しました。

そこで1年間、野球をやらせてもらってから中日ドラゴンズに入団し、今年6年目になります 。


沖縄県出身のプロ野球選手の特徴

沖縄県出身の先輩には挨拶に行きますね。自分は広島東洋カープの安仁屋宗八さんには挨拶に行きますし、自分と全然関係がなくても、沖縄県出身の選手というだけで挨拶に来ますね。

周りからもよく言われますよ。全く関係ないのに沖縄出身っていうだけで挨拶に来るなんてすごいねって。例えば、すごい有名な選手だったら、わからない訳でもないんですけど、じゃなくても関係なく挨拶しに来てくれますし、自分も挨拶に行きますからそこはなんか特別な感じですよね。

郷土愛ですかね。やっぱり沖縄の事を誇りに思っていないと、繋がりを持とうと思わないと思いますし、そういう時に思いますね。沖縄出身で良かったなって。


プロ野球沖縄県人会について

去年立ち上げたばかりなんですよ。

沖縄県でプロ野球教室したいっていう話を自分が使ってるメーカーの方に話したことのがきっかけで動き始めました。縦のつながり、横のつながりを大切にするんだったら県人会として作った方が参加しやすいんじゃないかっていう話から、各球団と交渉してプロ野球沖縄県人会を立ち上げました。

各プロ野球チームのユニフォーム着た沖縄県出身選手が全員集まって野球教室をしたら、沖縄にとってすごい恩返しになるんじゃないかと思っています。

プロ野球沖縄県人会の野球教室が通年のイベントになり、野球を続ける子が1人でも多くなってくれると嬉しいです。


プロ野球生活についての展望

もちろんチームの優勝っていうのは1番に考えてます。

その中でタイトルって部分にも絡んでいきたいですね。県出身の同級生、東浜選手は最多勝。多和田選手も最多勝。山川選手に至ってはホームラン王を取っているので、そういうタイトルに絡んだ県人になりたいとずっと思ってます。

自分自身の経歴が独特なんですよ。中学校・高校とベンチ外の選手が大学時にピッチャーへ転向してプロ野球選手になる。その経歴を知った上でタイトルを取れば、レギュラーになれずベンチ外で悩んでる子達にも野球を続ければチャンスがあるんじゃないかって夢を与えられるんじゃないかと。

又吉でもプロ野球選手になれるなら俺だってなれるだろって思う子が一人でも増えてくれれば、1番良い自分の将来像なのかなって思います。


プロを目指す子供たちへ

諦めないというよりも、続けられる環境を自分で 探すことが大切だと思います。中学校や高校に上がるタイミングで、お前は無理だよとか、高校まで行って野球やるの?とかマイナスなことを言われる訳じゃないですか。

そんなマイナスな事を聞く必要はないと思います。

そういう人達は自分の夢とかを諦めた人が、その人に成功されたら俺もやっとけばよかったって後悔するのが嫌だから、そういう風に言うんですよ。

もちろん毎日ダラダラしているのに、野球をやりたいんだって言ってたら、やめろって言うの正解ですけど。毎日一生懸命頑張って、もっと上手くなりたいから野球をどこかで続けたいって人には、ここでやってみたらとか、こういう所があるよっていう紹介が絶対来るはずなので、自分の日頃の行いが2年後3年後の可能性だったり、進路っていうのに関わってくるから、毎日コツコツと続けられる環境を自分で作り上げていくことが必要ですね。

やめるのは簡単なので、自分の可能性に制限をかけて成長止めないで欲しいと思います。





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