「沖縄空手は自分を磨くこと」だから世界に広がった。
2019年1月18日
Miguel Da Luz
現在に至るまでの経緯
私が沖縄を知ったのは14歳から15歳の時、それまでは空手=日本でしかなくて、沖縄の事を知りませんでした。
私の住んでいた町はフランスの小さな町で、近所に空手道場が2カ所あり、自分が通ったのは公民館でやっていた空手の道場。
その空手道場は、沖縄発祥の空手道場だったんです。沖縄の事が分からなくても、少しずつ空手を深めていくと、空手発祥の地である沖縄に興味が湧いてきました。観光で沖縄に来たのが1993年の9月。それから永住権を得て沖縄にいます。
沖縄に来た当初は、日本語が全く分からないので、小さな仕事を受け、少しずつ覚えていきました。11年前に空手の仕事と縁があり、空手家から空手関係者に代わって、今の職務についています。
選挙権はないけどウチナーンチュの一人と思っていますよ。
沖縄空手とは?
空手は沖縄が発祥ですが、本土で発展してきた空手は、簡単に言うと相手がいるから成り立つ空手です。
相手が必要だから、組手が発達して、それが段々スポーツ空手にいったんじゃないかと思います。競技って事も重要だけど、年を取って継続できるわけではないし、高齢になると空手を辞める人が多いんです。沖縄空手は自分を磨くのが特徴で、子供から高齢者までずっと続ける事が出来ます。自分の体に問いかけて空手を続けられる。無理をして体を壊すよりも、ほどほどを重ねて継続するのが大切です。体を作る事が重要であって、作ったらそれをずっと保っていく。水を沸騰させて火を消すと冷めるでしょ?また温めるには時間かかる。これと全く一緒。築いて保つ。これが沖縄空手だと私は思っています。
継続は力なり、沖縄の文化の一つだと思いますよ。空手だけじゃなくてね。
沖縄空手を通して感じるウチナーンチュの気質は?
ウチナーンチュは我慢強い。
空手は鍛錬。自分を磨いて鍛えていくのが大切です。沖縄の歴史を見ても、いろんなハードルを乗り越えてきている。これも鍛錬の精神。我慢強さを養う空手と似ているんじゃないかな?この気質があったからこそ、沖縄は空手の発祥の地となったと思います。
ただ世界にいる人達はウチナーンチュの気質を分からない。沖縄から北海道まで一緒だと思っている。だけど沖縄に来ると、変わった特徴に気付ける。それは訪れないと見ない部分。沖縄に来て三線を聴くのとYouTubeで聴くのでは全然違うからね。
ウチナーンチュ気質を受け継ぐ方法は?
沖縄の文化、沖縄のアイデンティティが含まれる芸を身につける事が一つの手段じゃないかな?
血の繋がりだけでは足りないと思う。血、心、芸、小さな島が、こんなに素晴らしい文化をいっぱい作ってる。それは沖縄の社会が芸をとても大事しているから。カチャーシーの無い沖縄なんてないでしょ?
空手も三線も組踊も一つ一つが沖縄の文化。それを学んで身につけるのが大切かな。
世界のウチナーンチュの日について思う事は?
私も発表された日にセルラースタジアムに居たんですよ。
世界のウチナーンチュ大会(2001年大会)では、屋台をブラジルの知り合いが出していて、そこでお手伝いをしました。
お肉を焼いたり、ソーセージ焼いたりしてね。そこに来るウチナーンチュも、世界のウチナーンチュも、みんなが一つとなって仕事をする関係性が最高でした。楽しくてね。私のリサーチの中で最低90ケ国には沖縄空手が継承されているんです。その国にいる沖縄空手のファンも世界のウチナーンチュにしてもいいんじゃないかなって思います。
血の繋がりだけじゃなくて、沖縄のファンも世界のウチナーンチュ。もちろんウチナーンチュの血が流れているのも大切だけど、世界ウチナーンチュの日ってウチナーンチュじゃないと分からないでしょ?そういう人達に、アプローチをかけてもいいんじゃないかなって気がします。
世界へ羽ばたくウチナーンチュへ
沖縄の芸を持っていけたら一番いいと思います。
よく海外から帰ってきた人が伝えれるものが無かったって、帰国してから習い事などを始める人が多いんだけど、行く前にらないとね。帰ってきてからだと遅いよ。何も持たずに出来る芸、口笛でも踊りでも出来るといいですね。私は沖縄空手を身につけたらいいかなと思いますよ。