天文学が繋いだ、沖縄とハワイ
2017年11月24日
嘉数悠子 YUKO KAKAZU
現在に至るまでの経歴
私は現在、天文学者として働いているんですが、天文学者になろうと思ったきっかけは13歳の時アメリカNASAが主催するスペースキャンプというプログラムに参加したことがきっかけなんです。
スペースキャンプとは、NASAが主催する少年少女向けの宇宙飛行士になるためのちょっとした訓練をするプログラムなんですが、当時の私は全く英語が喋れなかったんです。そのとき、地元の日本人留学生やボランティアの方々が丁寧に通訳をしてくださったお蔭で、何とかスペースキャンプに参加することが出来ました。
一週間と短い期間でしたが、とても強烈な印象を受け、将来天文学者になりたいと思いました。帰国後は理科や物理の勉強に励み、東北大学物理学部宇宙地球学科に進学。一年間交換留学でカリフォルニア大学サンタクルース校へ通い、最先端の天文学を学べることで有名なハワイ大学で修士・博士号を取得しました。その後は、フランス・カリフォルニア・シカゴで研究生活を行い、現在は国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡にてアウトリーチスペシャリストとして勤務しています。
アウトリーチスペシャリストとは?
日本ではアウトリーチという言葉すら聞いた事がないと思いますが、英語で“手を伸ばす”という意味です。 そこから派生して一般の方々と天文学をつなげるお仕事をしています。 私の勤務している、すばる望遠鏡は「日本の望遠鏡」ですので、日本から高校生や大学生など多くの方々が訪れます。 そういった方々や現地の子供から大人まで幅広く講演会や授業を行い、天文学を普及しています。
沖縄にまつわる天文学のお話はありますか?
実はハワイに移るまでは沖縄の古代の天文学というのは恥ずかしながら知らなかったんです。 それまでは現代天文学で、宇宙論であるとか銀河の進化論をずっと研究していたので、 天文学がウチナーンチュによって、どのように使われていたのか全く分かりませんでした。
ハワイにはイミロア天文学センターという天文学、航海術、ハワイの文化を学ぶことができる施設があるんですが、そこでハワイでは昔から星々を頼りにして人々が生活していることを知りました。
それから私のふるさと沖縄はどうだったんだろう?と思って沖縄の天文学について学び始めたんです。 学びを進めるにつれて、沖縄で昔使われていた星見石や星図が次々と出てきて、天の川やオリオン座、すばるやカシオペアが きちんと描かれていることに驚きました。
沖縄では古くから星見石を利用して、暦がない時代から星々の登ってくる方向と高さから 季節を知っていたんです。 首里城に行くと太陽を使って時刻を知ることができる器具もあり、沖縄でも天文学が人々の生活と直結していたと気付くことができました。
沖縄と天文学は非常に深い関わりをもっていた事を知ったことで、ますます沖縄の事が好きになり、自分自身のアイディンティティを天文学によって学ぶことができたと感じています。
沖縄を離れて想う沖縄の良さは?
沖縄を離れて沖縄の良さが見えてきました。 沖縄を離れたのは、高校を卒業した後でしたが、あったかい沖縄を恋しく思いました。 きれいな海や空気などの自然環境はもちろんなんですけが、ウチナーンチュそして沖縄の文化ってほんとに素晴らしいなって改めて感じたんですね。 とくに海外に住んでいると沖縄って非常に有名なんですよ!
まずヨーロッパでは沖縄の空手がとても有名です。 ヨーロッパの方々はとっても熱心に空手に取り組んでいます。私自身、沖縄にいるときは空手に興味がなかったんでがパリ在住時に、沖縄のことを何かやりたいと思って空手を始めました。 私に教えてくれたのはフランス人の黒帯をもっている先生方でした。彼らは沖縄の人以上に空手を愛していて、毎年夏になると空手の特訓のため沖縄に来て修行しているんです。そんな彼らを見てウチナーンチュなのにウチナーンチュらしいことやってないじゃないかと恥ずかしくなるくらいでした。
その他には長寿の島として沖縄は有名です。沖縄ダイエットプログラムという本のおかげで、 私が沖縄出身と言うと、日本料理ではなくて沖縄料理を教えてほしいとリクエストされます。 ゴーヤーやもじく、野菜や海藻を使った料理についていろいろと聞いてくるんです。 海外に住むようになって、ウチナーンチュの誇りがますます強くなってきました。
海外にてウチナーンチュとの交流は?
もちろんあります! ハワイにはハワイ沖縄連合協会という大きな沖縄県人会があります。
私もそのメンバーですし、私が住んでいるヒロという小さな町の県人会にも所属しています。 ハワイ州には県人会の支部がたくさんあり、ものすごく熱心に活動されているんです。
三線や沖縄の踊り、空手、ウチナー口などを大切にしていて、沖縄に住んでいるウチナーンチュ以上に、沖縄の伝統を継承していこうと努力をしていて、ウチナーンチュであることを誇りに感じています。県人会の方々を通して、ウチナーンチュの良さがますます見えてきました。
ウチナーンチュとして誇らしいと思う事は?
毎年ハワイでは、「沖縄フェスティバル」というお祭りが沖縄県人会主催のもと開催されています。 来場者は4万人以上、沖縄の食べ物はもちろん、ステージでは沖縄の様々なパフォーマンスが披露される ハワイで最大級のお祭りです。 フェスティバルではウチナーンチュではない人たちにも沖縄の良さを知ってもらえればとボランティアで働いています。 ですが2016年には大きなハリケーンが来てしまい、開催の4日前に中止になってしまいました。 食材など大量に準備していたので、大損害となってしまいそうでしたが、沖縄系の方々が経営しているレストランなどが食材を買い取ってくれたり、 ハワイに住んでいるウチナーンチュが寄付金を募ったりと様々な助けをしてくれました。
フェスティバルは中止になってしまいましたが、ウチナーンチュの助け合い、ゆいまーるの精神がいたるところで見れたことが今でもとても心に残ってます。
一生懸命沖縄の伝統を守り、次世代につないでいく。
私はそういった方々と一緒にいられることが幸せですし、私にできることが少しでもあるなら、皆様の支援をしていきたいと思っています。
これから世界を目指す、ウチナーンチュへ一言
世界に羽ばたくからこそウチナーンチュとしてのアイディンティティを強く持って欲しいと思います。 海外に住んでいると苦労や逆境がたくさんあります。 みんなで助け合ってうまくやっていこうというゆいまーるの精神。 逆境の時でもカチャーシーを踊るように楽しく物事を乗り越える心が大切ですね。 そういったスピリッツって沖縄の人なら誰でも持っていると思うんですよ。 沖縄の歴史を振り返ると第二次世界大戦など非常につらい時期をウチナーンチュは乗り越えてきてます。 その背景には、辛い事があっても楽しくやって行こうという精神が必須だったと思うんです。
世界に羽ばたく人たちには、ウチナーンチュとしてのアイディンティティしっかり持って、 世界の人達と交流を図って欲しいと思います。いつの日か沖縄に戻って次世代の人達に自分が何を見て学んできたかを伝えてほしいですね。